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鬼の長谷川平蔵

鬼の長谷川平蔵の嘘

軽微な犯罪者の社会復帰も支援した

長谷川平蔵は江戸時代中期の、天明7年(1787年)から寛政7年(1795年)まで、火付盗賊改方の役職にあった人物である。

火付盗賊改方は明暦3年(1657年)の明暦の大火以降、放火や武装盗賊が横行する中で設けられた放火・盗賊取締りのプロフェッショナル集団である。

江戸の市中をパトロールして、火災の予防や盗賊・博徒などの逮捕を行っていた。

長谷川平蔵は池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』で有名になったこともあり、江戸時代に「鬼」と畏怖されていたイメージが強いが、これは池波正太郎の創作であり、実在の長谷川平蔵が鬼と呼ばれていたわけではない。

放蕩無頼の青年時代を送っていたためか、庶民の感情に精通していた平蔵は、凶悪犯罪者を厳格に処分する一方で、軽微な犯罪者に対しては「人足寄場(犯罪者の更生施設)」を設立して彼らの社会復帰を援助していた。

ただし当時の上司であった老中・松平定信とは、この人足寄場の運営費の件で対立することもあった。

悪党から断固として人々を守る正義感と、人情味あふれる計らいを合わせ持った平蔵は、「今大岡」「本所の平蔵さま」と呼ばれ、江戸庶民から慈父のように慕われたという。

一方、同僚や上司の間では、大言壮語を吐く目立ちたがりで独断専行の常習者とみなされ、あまり出世できなかったともいう。

小説で描かれてた姿とは違う、意外な事実である。