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江戸時代と藩制度

江戸時代と藩制度の嘘

江戸時代の中頃に初めて登場した藩

幕府をトップとし、各大名家がこれに従う政治体制を「徳川幕藩体制」と呼ぶ。

しかし、これはあくまで後世に作られた概念であり、江戸時代に「藩」という制度は存在していなかった。

「藩」の字が最初に登場するのは、儒学者の新井白石が元禄15年(1702年)に完成させた『藩翰譜』の「藩」である。

白石が甲府宰相綱豊(後の六代将軍・家宣)の指示によって編纂した書物であり、337の諸大名家の事績・由来・系図からなっている。

また、幕末の武士の手紙に「尊藩」「弊藩」という言葉が使われているから、「藩」という言葉自体があったことは確かだ。

しかし、藩という呼称はあくまで私的な表現に過ぎなかった。

藩は公式には「領分」であり、藩主は「国主・領主」、藩士は「家来・家臣」といった。

名乗る時も◯◯藩士ではなく、「伊達越前守家中◯◯」と名乗り、所属を問う際にも「いずれの御家中か?」とするのが普通であった。

幕末を舞台とした歴史劇で、坂本龍馬などの志士が自由に行動するため脱藩を行うという描写が見られるが、この表現は正確ではないのだ。

藩が行政区分として制度化されたのは、明治元年(1868年)の府藩県三治制から、明治4年(1871年)の廃藩置県までだった。

藩は江戸時代には存在しなかったのである。