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フビライと元寇

フビライと元寇の嘘

 

フビライは日本との友好を心から望んだ!?

日本が鎌倉時代の中頃を迎えた時代、中国大陸にはフビライを大ハーン(皇帝)とする元王朝が栄えていた。

日本史における重大事件「元寇」は、この元王朝による2度の軍事侵攻のことを指している。

文永11年(1274年)の侵攻を「文永の役」、弘安4年(1281年)の侵攻を「弘安の役」と呼んでる。

日本側が水際戦で善戦したことや、元軍が元帝国の兵員に高麗王朝(朝鮮半島の王朝)の兵員を加えた寄せ集め編成だったこと、指揮官同士の意志の不統一、更に暴風雨(弘安の役)の影響により、戦いは2度とも日本側の勝利に終わった。

ところで、元寇は元王朝側の一方的侵略のイメージが強いが、これは誤りである。

戦争を誘発したのは日本側だった。

文永の役に先立つ8年前、フビライは鎌倉幕府に親書を送っている。

「皇帝、書を日本国王に奉る」という書き出しではじまる親書の内容は実に友好的であり、日本と親交を結びたい、という思いがあふれている。

そこには侵略や脅しを匂わせる威圧的な文句は書かれていない。

フビライはこの後も親交目的の使者を送り続けたが、鎌倉幕府の対応は黙殺、使者の強制送還、斬殺という非常に野蛮なものであった。

これが友好的であったはずのフビライを怒らせ、元寇という軍事行動に踏み切らせたのだ。

元寇は鎌倉幕府の外交的非礼に対する報復行動だったのである。