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御堂関白、藤原道重

御堂関白、藤原道重の嘘

 

天皇家との姻戚で藤原氏の最盛期を現出

平安時代末期の武家政権誕生まで、日本の政治に大きな影響を与え続けた貴族・藤原氏。

藤原道長は同氏の最盛期を現出した人物だ。

藤原兼家の第5子として誕生した道長は、当初はさほど注目されていなかったが、政争での勝利を重ねて長和5年(1016年)幼帝を補佐する役職「摂政」となり、次の年には役職を子の頼通に譲り、臨時の最高役職・太政大臣となった。

道長は、この間に4人の娘を四天皇のもとに嫁がせた。

このうち彰子は後一条と後朱雀の二天皇を、嬉子は後冷泉天皇を生んだため、道長は外戚(天皇の母方の祖父)として絶大な権力基盤を手にするのである。

晩年に詠んだ「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」(この世は自分のためにあるようなものだ。満月のように、足りないものなど何もない)

という和歌からは、わが世の春とばかりに謳歌する道長の様子がうかがい知れる。

『御堂関白記』とは道長が著した日記である。

御堂とは道長が晩年に建立した法成寺をいう。そして関白とは、成人後の天皇を補佐して政務を司る重役だ。

しかし道長は、実は摂政の経験はあるが関白には就任していない。

にもかかわらず堂々と関白と称されたのは、自他ともに認める最高権力者だったためだ。

『御堂関白記』は、藤原道長という存在の大きな現代にまで伝える史料なのである。