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新撰組の近藤勇

新撰組の近藤勇たちの嘘

多摩の風土と歴史が新撰組誕生に影響

幕末の京都にあって、京都守護職・松平容保の支配のもと、洛中の治安維持に大きな力を発揮した新撰組。

「誠」と記した旗を掲げたり、違反者をことごとく切腹に処す「局中法度」の厳格さから「武士の中の武士が作った組織」と思われがちだ。

しかし、新撰組を創設した近藤勇や土方歳三は正式な武士ではなく、元来、多摩の農民であった。

新撰組が創設されたのは文久3年(1863年)だが、彼らが正式な幕巨と認められたのは慶応3年(1867年)である。

多摩の農民には旧武田家の末裔が多い。

八王子千人同心に代表されるように彼らは、幕府から甲州口(現在の東京都と山梨県の境)の守りの要としての職制を与えられていた。

このため多摩では昔から、尚武の気風が強く、幕府への忠誠心も厚かった。

近藤勇や土方歳三といった新撰組創設メンバーもかような環境下で育ったため、武芸や幕府に対する思い入れは人一倍強かった。

近藤らが学んだ剣術流派・天然理心流も創設者である近藤蔵之介が多摩に広めたもので、近藤勇はその4代目なのである。

この強い思い入れがどんどん先鋭化していった結果、彼らは「武士以上に武士らしく」あることを強く求めるようになった。

言葉を換えれば、農民であるが故に理想の武士道を追求し、武士も真っ青になるほどの厳格な組織を作り上げたのである。