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中世人が地球半面説を信じた

中世人が地球半面説を信じた嘘

多種多様な地球観とは

現在でこそ、地球が球体であることは誰でも知っているが、科学が未発達な時代は各地域で様々な世界の姿が想像されていた。

古代インドの民族宗教ヒンドゥー教では、世界は底が平らで、大きなドームの形をしており、4頭の象によって背負われ、世界を背負った像を巨大な亀が背負って果てしない海を漂っている、と考えられていた。

やはり古代インドで成立した仏教では「須弥山」という世界観があった。

世界の中心に「須弥山」という大きな山があり、この山を山々と海が取り巻き、最も外側の海の四方に「四大州」が広がり、そのうち「南州」に人が住むという世界観である。

古代ギリシアでは早くから「地球は球体」と認識されていた。

航海に長けていた彼らは、天空と水平線の勾配から、地球の正確な形を割り出していたのである。

多様な世界観のうち、「地球は平面」とする考え方もあった。

古代バビロニアでは、世界は海に漂う平らな円盤で、海の果てに天空を支える山がそびえ立っていると考えられていた。

また、古代エジプトでは、世界は平らな長方形で、中心にエジプトが位置していると考えられていた。

中世のヨーロッパでは、『新約聖書』中の「地には4つの角があり、4人の風を司る天使によって守られている」という記述により、地球は平らで四角いものと信じられていた。

『新約聖書』はキリスト教の権威であるから、内容は絶対視されている。

このためキリスト教世界での地球平面説は、完全な信仰だった。

疑問を感じて真実を追究しようものなら、「異端者」の汚名のもと、火あぶりの刑にされても仕方なかったのである。

発端はアメリカの作家

中世になると、ヨーロッパでは、前述のような地球の姿を信じる者はほぼいなくなった。

そもそも、この「地球平面説」を当時の人々が信じていたという話は、19世紀のアメリカの作家ワシントン・アーヴィングが、著作『クリストファー・コロンブスの生涯と航海』の中で創作した、あるシーンに端を発している。

そのシーンとは、中米のカリブ海の島々への航海に向かうコロンブスを、王室の航路を諮問する委員会の面々が、「そんなことをしても世界の果てから落ちるだけだ」と嘲笑するシーンである。

この著作は、当時の人々に広く読まれたため、コロンブス時代の多くの人々が「地球平面説」を信じていた、という誤解につながった。

しかし、アーヴィングが、このようなシーンを思いついたのには、当時の世相に原因がある。

中世ヨーロッパにおける最大の権威である教会が「地球平面説」を否定するのを許さなかったためである。

ローマ教皇グレゴリウス1世は、「地球平面説」を非難する者は異端者であるとし、16世紀に入ってもアレクサンデル6世が同じ立場をとり、反「地球平面説」派を締め上げていた。

当時の教会による強い風当たりの中で、地球は球体であると頑なに主張したのが、初めて世界一周を成し遂げた探検家フェルディナンド・マゼランである。

彼は世界一周航海に出る前にこんな言葉を残している。

「教会は、地球は平らだというが、私は地球の影が月にかかるのを見た。だから私は教会よりもあの影を信じる」

彼は、船乗りであったため、その経験から地球が球体であることに確信を持っていた。

マゼランの世界一周により、世界一周がもっと頻繁に行われるようになると、教会側も地球はもしかしたら球体かも知れないと考えを改め始めた。

こうして、当時の人々も十二分に認識していたことであったが、ようやく地球は球体であるということが堂々と口にできるようになった。

それでも「地球平面説」はアメリカのキリスト教原理主義の一部の教会では、20世紀に入るまで根強く生き残っていたという。

世界は球である

マゼランは軍人時代にインドからマレーシアのマラッカへの遠征経験があり、その際、スマトラ島生まれの現地人を連れて帰り「エンリケ」と名付け召使いとしていた。

太平洋を航海中、たどり着いたとある群島の原住民とエンリケに会話をさせると、果たして言葉は通じた。

地球が球体であることが証明された瞬間だった。