コンテンツ

四大文明

四大文明の嘘

文明を生んだ気候の温暖化

人類が歴史時代に入った時点で栄えていた文明を「世界四大文明」と呼ぶ。

エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明である。

なぜ、この四文明が栄えたのか。

まずは文明の発生までを追っていこう。

約1万年前に氷河期が終了すると地球は温暖化に向い始める。

これにより、地球の気候は変化し、各地に住む「新人」(クロマニヨン人のような化石化人類と、現代人につながる新生人類)は自然環境の変化に適応しなければならなくなった。

人々はそれまで狩猟や採集を中心とした経済体制で生活していた。

しかし、自然環境の変化によって狩猟・採集だけでは生活ができなくなった。

ここにおいて人類は農耕・牧畜を開始し、生産経済へと移行するのである。

生産経済へと移行したことで、人口は飛躍的に増え、人類は土器や織物を作る一方、集落に住むようになった。

また、石斧・石臼などの精巧な磨製石器も作られ、ここに新石器時代が到来した。

この新石器文化はアフリカ、ユーラシアの各大陸に、瞬く間に広がっていった。

ところで、初期の農業は雨水に頼る乾地農法や、焼き畑農法が主流であった。

この農業の在り方を根本から変えたのが、メソポタミアの灌漑農業だった。

河川の水をふんだんに使う同農業は、河川の土砂に含まれる栄養分が肥料になることもあり、従来の農業より生産性を飛躍的にあげた。

その結果、多くの人口を養うことが可能になり、大きな人間集団を統一的に支配する「都市」という仕組みが巨大河川の流域に生まれたのである。

四大文明は政治的プロパガンダ

世界史の教科書などでは、都市の発生をもって文明の発生と位置づけている。

エジプト文明とはナイル川の中流・下流域に栄えた文明であり、王(ファラオ)による神権政治が行われた。

周辺民族の侵入により、一時的に異民族の支配を受けることもあったが、それ以外はエジプト人による統一的支配が行われた。

約30の王朝が交替しており、特に繁栄した時代を古王国時代、中王国時代、新王国時代と3期に区分して呼んでいる。

メソポタミア文明とは、ティグリス川とユーフラテス川の両河川流域に栄えた文明を指す。

メソポタミアとは「川の間の地方」という意味である。

同文明では、シュメール人、アッカド人、アムル人など他に、ヒッタイト人、カッシート人といった異民族侵入勢力も王朝を建設した。

アムル人が建設し、ハンムラビ王の時代に全メソポタミアを支配した古バビロニア王国(バビロン第1王朝)が特に有名である。

インダス文明とは、インド亜大陸のインダス川流域に栄えた文明である。

モヘンジョ=ダロや、ハラッパーといった遺跡では、穀物倉や沐浴場を備えたレンガ造りの都市を見ることができる。

黄河文明とは、中国大陸の黄河流域に栄えた文明をいう。

近年では、もう1つの大河である長江流域にも文明が栄えていたので、黄河文明・長江文明と併記されることが多い。

しかし長江文明が確認されるまでは黄河文明のみが「四大文明」に数えられていた。

さて、この世界四大文明。純粋な歴史学の立場から提唱されたものではない。

実は政治的な立場から提唱されたものである。

世界四大文明は1900年頃、中国の梁啓超という学者によって提唱された。

中国はこの時期、清明の末期であり、国土の至るところを欧米勢力に切り取られ、且つ、国内政治は乱れていた。

この混乱を避けて多くの知識人が日本に亡命していた。

梁啓超もそのうちの1人である。

日本で「中国には黄河文明がある」と教えられてきた梁啓超は、中国の民衆を鼓舞し、自信を持たせるために黄河文明を含めた「世界四大文明」という概念を提示したのである。

要するに、「世界四大文明」という言葉と概念は、政治的プロパガンダに起因するものであり、欧米ではほとんど認知されておらず、アジアでのみ広まった説である。

意外と豊かだった縄文時代は最古の文明!?

1992年から開始された青森県の「三内丸山遺跡」発掘調査などにより、日本の縄文時代が意外に先進的であったことが判明し始めている。

原始的な農耕による、思いの外、豊かな食生活、飲酒、オシャレなどの楽しみを持っていたことも判明している。

広範な交易関係も確認されており、研究者の中には「縄文文明」と呼ぶ人もいる。