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アフリカ人類発祥説

アフリカ人類発祥説の嘘

アフリカ単一起源説と多地域起源説

人類の発祥地に関しては、アフリカ単一起源説と、多地域起源説がある。

では、両方の説を分かりやすく紹介していく。

まず先に、アフリカ単一起源説からだ。

猿と共通の祖先を持つ独自の進化コースに入ったのは8000万年前から5000万年前と考えられている。

近年にアフリカのチャドで発見されたサヘラントロプス・チャデンシスは、明らかに類人猿とは異なる特徴を備えており、アフリカ起源説では最古の人類と考えられている。

この後、完全な直立歩行をするアウストラロピテクスが現れ、やがて原人(学名ホモ=エレクトゥス)が現れた。

アフリカはもちろん、アジア、諸国で原人の痕跡は確認されている。

アフリカに現れた原人がヨーロッパに移動したようであり、南フランスのアラゴ洞窟や、ドイツのハイデルベルクなどで原人の人骨が見つかっている。

原人はやがて旧人、ネアンデルタール人へと進化する。

ネアンデルタール人に代表される旧人は15万年前から4万年前にかけて、幅広い地域に存在した。

脳の容積は現代人とさして変わらないが、骨は太く頑丈で、眼窩の上には大きな隆起があり、額は後退していた。

小屋を作ってすみ、マンモスなどの大型動物を集団で狩るなど、厳しい自然環境に順応する能力を持っていた。

また、彼らは石器を作る技術にも優れており、獣皮を切るのに用いられたと思われる刃物状石器や、狩猟に使う先の尖った石器なども見つかっている。

石器や木材の加工場、動物の解体場、調理場などの固有の設備の他に、死体の脳を食べるなど独自の葬送儀礼を有していたことも確認されている。

ケセム洞窟の骨が語る

ネアンデルタール人を代表する旧人は氷河期に滅亡するも、新しい人類がアフリカに現れる。

今日の私たちにつながる新人類である。

新人類は更新世末期(約4万〜1万年前)に数を増やし、アフリカ大陸からヨーロッパへと渡り、更に世界へと散っていった。

以上がアフリカ単一起源説である。

つまり、原人から旧人へと進化した種は絶滅してしまい、新しくアフリカに誕生した種が新人類の起源になったというのである。

同説は主に遺伝学研究者によって支持されており、ミトコンドリア・イブ説とも呼ばれている。

根拠となっているのは、ミトコンドリアDNAの鑑定結果による。

ミトコンドリアDNAは遺伝子の名称である。

母親だけから受け継がれるのが特徴のため、父親の遺伝子が混在しない。

遺伝学者たちはこの利点を活かして、人類のルーツ探しが可能と考えた。

そして、多くの現代人女性のミトコンドリアDNAを鑑定したところ、結果はヨーロッパ人もアジア人も、20万年前のアフリカ系人類を起源としていることが判明したのである。

もう1つの説である多地域進化説は、主に形態人類学者たちによって支持されている。

アフリカ単一起源説が原人・旧人と新人類との間に断絶があると考えるのに対して、こちらは三者の連続性を認める説である。

各地に出現した原人が旧人→新人類と進化したというのである。

このため同説は「多地域並行進化説」とも呼ばれている。

ヨーロッパでクロマニヨン人が活動していた時期、アジアでは中国の周口店上洞人が現れていたことが分かっている。

それに、ジャワ島でも同時期の新人類出現が確認されている。

加えて、アフリカに出現した新人類との関連性が不明なのも事実である。

以上、アフリカ単一起源説と多地域起源説である。

アフリカ単一起源説に関して言えば、ミトコンドリアDNAが父親からも遺伝する可能性が指摘されたことが大きい。

更に、研究が進めば、アフリカ単一起源説自体が否定されるかもしれない。

また、2006年にはイスラエルのロシュ・ハアインのケセム洞窟から、アフリカで出土したものより20万年も古い現生人類の痕跡が発見された。

これにより古い痕跡がアフリカから見つからない限り「人類の発祥地はアフリカ」とする説は成り立たないのである。

現生人類による洞窟画は芸術劇場

ヨーロッパ各地には、クロマニヨン人が残した洞窟画が点在する。

フランスのラスコー、スペインのアルタミラが有名である。

野牛・トナカイ・象・馬・サイ・狼などの動物を描いたものが多く、この他に動物の仮面や角をつけて祈祷する祈祷師らしい人物を一緒に描いたものがある。

狩猟の成功を願う呪術的意味合いがあるとされている。