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原人は猿と人の中間

原人は猿と人の中間という嘘

原人とは何か?

いきなり「原人」と言われても、大抵の人の頭の中には疑問符「?」が浮かぶだろう。

ではまず先に、人類の祖先について従来の説明をしておく。

最も古い人類はアウストラロピテクス(南の猿の意)によって代表される「猿人」であり、400万年から80万年前に存在したとされている。

次が中国のシナントロプス(北京原人)や、インドネシアのピテカントロプス(ジャワ原人)によって代表される「原人」であり、80万年前から15万年前に存在したとされている。

学名はホモ=エレクトゥス。

これは「直立する人」という意味だ。

かつては「直立する猿」を意味するピテカントロプス=エレクトゥスという学名がついていたが、アウストラロピテクスの発見により「猿人」から「原人」に昇格したのである。

なお、「ホモ」とは「人」の意味である。

3番目は、ヨーロッパのネアンデルタール人を代表とする「旧人」で、15万年前から4万年前にかけて存在した。

ネアンデルタール人の学名は、ホモ=ネアンデルターレンシス。

アフリカとユーラシアの亜寒帯に分布した彼らの脳容積は現代人と大差はなく(1200~1500cc)、歯もわずかに大きいだけであり、かなり現代人に近い姿であったようだ。

最後がヨーロッパのクロマニヨン人のような化石で確認できる化石現生人類と、現在の人類につながる「新人類」である。

新人類はかつて、ホモ=サピエンスという学名で呼ばれていたが、旧人が思ったほど原始的でないことが分かってきたので、「知」「賢い」を意味するサピエンスを2つ重ねて、ホモ=サピエンス=サピエンスと呼ばれている。

ミッシング・リンクを求める人々

順を追って並べると「原人」は、まるで人と猿の中間というイメージを抱きがちだが、学名からも分かるように、あくまでも「人」である。

人類が猿から進化したわけではないことは、先に挙げた通りだが、未だその説を根強く信じる者たちの間で、人と猿の中間生物がしばしば話題になる。

この未知の中間生物、もしくは、中間化石は「ミッシング・リンク(失われた環)」と呼ばれている。

学者たちは、このミッシング・リンクを見つけることに躍起である。

1891年にインドネシアのジャワ島で「ジャワ原人」の化石が発見された時、発掘者であるオランダの人類学者ウジェーヌ・デュボアは「これこそミッシング・リンクである」と自信満々に断言した。

しかし、誰1人として信じようとしない。

デュボアは怒りのあまりに引きこもったという。

1923年、件の化石の化学分析が行われると、「人」のものであることが判明した。

デュボアは落胆と恥ずかしさのあまり再び引きこもってしまうのであった。

ミッシング・リンクを諦めきれない研究者の中には、「ミッシング・リンクは現在も生きているため、化石が発見できない」という論を主張する人もいた。

この時、ミッシング・リンクの候補として白羽の矢が立てられたのが、世界各地で目撃情報がある直立型のUMA(未確認生物)である。

ヒマラヤの雷男イエティや、アメリカのビッグ・フット、中国の神農架の野人などがそれに相当する。

生きているミッシング・リンク論は、19世紀後半からアメリカの大衆誌によって喧伝された。

ワシントン州立大学人類学教授グローヴァー・クランツ、ジョージア州アトランタにあるヤーキーズ国立霊長類研究所所長ジェフリー・バーン、イギリス人の人類学者で霊長類学の権威であるジョン・ラッセル・ネイビア、人類学者マーガレット・ミード。

当時を代表するそうそうたる研究者たちが、生きているミッシング・リンクの存在を支持した。

本体発見も試みられた。

1953年にはイギリスの探検家サー・エドモンド・ヒラリーがイエティの足跡を発見したと発表。

1960年には、ヒマラヤ探検でイエティを捜索している。

多くの努力にも関わらず、探検・探索からは何の成果も得られていないが、今この瞬間も化石を含めてミッシング・リンク探しは行われているのだ。

明石原人の真相とは?

1931年、兵庫県明石市で化石人骨が発見された。

本体は戦災で焼失するが、詳細な石膏模型が作られていたことから研究が進められた。

化石人骨は当初、原人のものとされるも、比較研究の結果、新人類と結論づけられた。

だが、1985年に改めて検証されたところ、旧人のものと判明。

明石原人ではなく明石旧人がいたことになる。